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経済・貿易・対外関係

江戸時代は経済的にはめまぐるしい発展を遂げ、その資本の蓄積は、明治維新以降の経済発展の原動力となる。 各地の諸大名は、江戸藩邸や参勤交代の費用を捻出するために自藩産出の米や魚農産物を大坂に売ったため、大坂は諸大名の蔵屋敷が置かれ全国の特産品が並び、盛況を活した。また、参勤交代やお手伝い普請で多くの諸大名が街道筋の宿屋・旅籠に泊まったため、経済の流通が活発化したのである。江戸幕府は株仲間を結成させて特定商人の独占を認めることで商業統制を行おうとした。だが、実際には江戸時代も後期に入ると、都市・地方ともに新興商人の台頭が始まり、活発な展開を見せるようになる。幕府はこうした経済発展の動きに十分な対応が取れず、物価変動による社会的混乱を鎮められずに幕府が動揺する一因となった。
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対外政策としては幕府は鎖国政策を布いていた。しかし、将軍代替りの際に行われた朝鮮通信使やオランダ商館長らによって世界的な情勢は大体把握していたといわれている。例えば天保の改革を行った水野忠邦は中国でアヘン戦争が起こると直ちに無二念打ち払い令を撤回させたようにである。また、長崎鳴滝に西洋医術の塾を開いたシーボルトのもとに多数の日本人が修学するなど西洋人と日本人との交流は盛んであった。
江戸幕府は、大量に蓄積された金銀を原資に貨幣制度の改革を行った。幕府創立前の1601年(慶長6年)に金座(小判座)および銀座を設立し、慶長金銀の鋳造を命じた。慶長から寛永期頃までは各地の金山および銀山の産出が世界有数を誇る規模であり、五代将軍徳川綱吉の頃までは江戸城御金蔵の金銀の蓄えも潤沢であった。そして輸入品であった永楽銭などに代わり1636年(寛永13年)、銭座を設けて寛永通宝などの国内貨幣を鋳造し、流通させた。

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2009年07月02日 02:12に投稿されたエントリーのページです。

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