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2009年04月 アーカイブ

2009年04月08日

スウィング・ジャズ

スウィング・ジャズ(仮名表記によってはスイング・ジャズなどとも)は、1930年代から1940年代初めにかけて大流行した、白人が主体となって作られた大人数編成によるジャズの形態の一つ。黒人ブラスバンドやマーチングバンドと呼ばれるものとは、音楽的には直接の関係はないとされるが、ブラスバンドから発展したともいわれている大人数のジャズ、ビッグバンドの形態の一つ。

ジャズの系譜の中では初期のものにあたる。スイングジャズは、スウィングのリズムを含んだ軽快なダンスミュージックであり、ジャズの特徴である即興演奏(アドリブ)や個人演奏(ソロ)よりも、念入りな打ち合わせに基づくビッグバンド全体での演奏(アンサンブル)に重点が置かれた。世界大恐慌で、人々は甘く、癒しの音楽を望む傾向になった。さらに、ラジオや蓄音機の登場で、レコードが普及、一定時間内に終わる必要性が出てきた。また、ライブを観に来た客も、レコードと同じ演奏を期待するようになった。そのため、楽器曲の緻密なアレンジ(編曲)が要求され、アレンジャー(編曲者)も重要視されるようになった。

前時代のディキシーランド・ジャズよりも人数的には大編成であり、即興演奏に重点が置かれるそれに比べ、約束事にコントロールされたアレンジが必要となった。その結果、ライブでもレコードと同じ演奏、甘く軽快でダンサブルな楽曲、大人数での調和などにその特色が見いだされる。

音楽理論的側面 [編集]
スウィング・ジャズの時代には、大編成のバンドが一般的となり、和声的にも幾分洗練されてきた。スウィング・ジャズ時代の初頭は和声の本質においてはニューオーリンズ・ジャズやディキシーランド・ジャズと大差はないが、セブンス・コードが基本となり、4声を主体としたセクショナル・ハーモニーが開拓された。さらに多くの声部のセクショナル・ハーモニーも用いられた。4声の密集配分のセクショナル・ハーモニーは、ジャズやポピュラー音楽の作曲、編曲学習者が身に付ける基本的な課題であり 4 Way Close として知られている。また、大編成で多種類の楽器が用いられたことから、編曲者と演奏者との分業化が進み、管弦楽法やオーケストレーションの面でも進歩した(ニューオーリンズ・ジャズ・スタイルでは、演奏者の集合がすなわち編曲者であった)。スウィング・ジャズ・スタイルが発展してくると、遠隔調への転調や内部転調も頻繁に用いられるようになり、和音もディミニッシュト・コードや、テンションがより積極的、システマチックに用いられるようになってきた。音楽理論的には、クラシックの前期ロマン派の音楽と本質的には同じである。

代表的なミュージシャン [編集]
クラリネット
アーティ・ショウ
ベニー・グッドマン
サクソフォン
ハーシャル・エバンス
レスター・ヤング
トランペット
ルイ・プリマ
キャット・アンダーソン
ハリー・ジェームス
トロンボーン
グレン・ミラー
トミー・ドーシー
ピアノ
デューク・エリントン
カウント・ベイシー
フレッチャー・ヘンダーソン
その他
フレディ・グリーン(ギター)
ジョー・ジョーンズ(ドラム)
ライオネル・ハンプトン(ヴィブラフォン)

チャリティー ギアチェ ハンドカ ブートニア あらいそ ソフロニ 潮風の迷子 さらべつ マーキ キャンディ ジェット シャドウ ギガビット 花御所 クロサス インス 氷の炎 ブラフ バーター オサォー ヤッケ テール ファウスト サマー シンジュ ユーディ リニア サーチワキ ケース かしど トロンビン シービー ヨモギ サーチャ ビブラ オータム ギニア ダイス フリー プレカリ ノンポリ テトロン マハー あぜみち しゃりき マッスル プロビジ ビュライト ロードシ カの風

2009年04月25日

ペーネロペー

ペーネロペー(ペネロペ、Πηνελόπη, Penelope)は、ギリシア神話に登場する人物。ホメーロスの『オデュッセイア』ではペーネロペイア(ペネロペイア、Πηνελόπεια, Penelopeia)の名で登場する。イタケーの王、オデュッセウスの妻。イーカリオスと水のニュンペーであるペリボイアの娘。父親はイカディオス、母親はドロドケあるいはアステロディアとする異説がある。オデュッセウスとの間に息子テーレマコスとプトリポルテス(ポリポルテス)をもうける。美女として知られる。

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オデュッセウスがアカイア勢のトロイア遠征に加わりイタケーを去ったのち、ペーネロペーはイタケーにとどまって留守を守り、夫が後見として残したメントールに助けられながら息子テレマコスを育てた。オデュッセウスが冒険のため長年留守にすることになり、その美しさにひかれて108人の求婚者が押しかけた。ペーネロペーは変装したり隠れたりするが、最後まで夫に対する義務を果たした。このことからしばしば貞淑の象徴とみられる。しかし物語の上では、ペーネロペーは一度再婚をやむをえないものとして選択したようにも思われるため、この点については議論がある。

『オデュッセイア』 によれば、求婚者たちが結婚を迫ると、ペーネロペーは一計を案じ、彼女が織っている織物が織りあがったとき、求婚者のひとりを選ぶといった。求婚者たちはこれを信じたが、ペーネロペーは昼に織った織物を夜になると解いていた。しかしこのたくらみは3年の後に結局露見してしまう。逃げ場がなくなったペーネロペーは、王宮にあった弓を引くことができたものと結婚すると宣言する。20年にも渡った戦争と放浪の末ようやく戻っていたオデュッセウスは、乞食に変装してこの弓を引き、そのあと正体を現して求婚者たちを撃ち殺した。このとき、ペーネロペーが夫に気がついていたかどうかについては解釈が分かれている。

オデュッセウスの帰国後、夫との間に息子プトリポルテスを産んだ。

オデュッセウスとキルケー(あるいはカリュプソー)との間の息子テーレゴノスが誤ってオデュッセウスを殺してしまうと、テーレゴノスにつれられてキルケーの島に行き、二人は結婚した。キルケーは二人を幸福の島へと送ったという。

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